八川社のブログ

プロ野球、電源不要、サイコロ野球

山内以九士の遺産

こんにちは、八川社代表の牧です。

現在、「野球伝説−8 代打一閃」の作成中です。そこで思ったことをひとつ。

山内以九士さんは広瀬謙三さんとともに野球の記録・規則に尽力した方です。そして、両氏とも野球殿堂入りをされております。
まあ、野球の記録好きのみなさんならご存知のことと思います。

山内さんは、我々後進に数々の事を残してくれています。

そのうちのひとつが、代打記録にもあります。っていうか、そもそも代打記録を集計したのはいつ、誰だったかという話です。

パリーグ年報 1955記録集計号」私の知る限り一番古い代打記録の集計が記載されています。パリーグ年報なんで、もちろんパリーグだけですが・・

まあ、個人や新聞社でこれより前に代打記録を集計した可能性もゼロではないですが、私は発見できていません。

そのあとがきに、山内さんの「はじめて代打の記録を集計してみた」との旨の文章があります。
同じあとがきに「年報の発行が遅れて3月になってしまった。今年はなんとか2月に発行した。」という旨の文章もあり、パソコンやワープロはおろか電卓もない時代の苦労が偲ばれます。
去年と同じ事をやるだけでも大変なのに、わざわざ代打記録の集計に手をひろげるとは・・・

代打率トップはオリオンズのベテラン呉昌征.436(39打数17安打)。
代打打点は、野球雲の6号の特集「高橋ユニオンズ」のスタルヒン。投手ながら43代打起用で14打点!!
75試合出場で33登板、一塁手として2試合ですから、代打の後登板とか代打の後一塁とかあったんでしょうねえ。たいしたもんです。
その他、ライオンズの玉造陽三が打率.280(25打数7安打)ながら安打を上回る11四死球を選び、代打出塁率.500!!
とかおもしろい記録を見せてくれました。

しかし、ここで止まる山内以九士ではありません!!翌「パリーグ 1956記録集計号」には、捕手の盗塁阻止率がはじめて記載されています。